子どものいないご夫婦にこそ遺言書を──残された配偶者を守る、たった一枚のメッセージ

こんにちは。福岡中央司法書士事務所の森 浩一郎です。
うららかな季節になると、舞鶴公園から大濠公園へと続く緑豊かな遊歩道を歩くのが心地よく感じられます。仲良く並んでお散歩をされているご高齢のご夫婦の姿を見かけるたびに、私はいつも温かい気持ちになると同時に、ある「大切な使命」を思い出します。
私たち司法書士の仕事は、単に書類を作るだけではありません。「法律の知識がないばかりに、大切な人が不利益を被ってしまう」という、身近に潜む悲しいトラブルを防ぐこと。それこそが、地元・福岡の皆様のために私が尽くしたいと願う原点です。
今回は、私が過去に経験したあるご夫婦の実話をもとに、「子どものいないご夫婦における遺言書の重要性」についてお話しさせてください。
目次
第1章:ベッドサイドで確認した、一枚の自筆証書遺言

数年前のある日、当時お付き合いのあった地域包括支援センターのケアマネージャーさんから、一本の緊急の電話が入りました。
「担当している高齢の男性が末期ガンで入院されているのですが、ご自身で遺言書を書かれたそうなんです。容態が優れないため、内容に不備がないか大至急確認してもらえませんか?」
その男性にはお子様がおられず、長年連れ添った奥様と二人暮らしとのことでした。私はすぐにスケジュールを調整し、翌日にはご本人が入院されている病院へと向かいました。
病室のベッドに横たわるご主人は、ひと目でかなり体力が落ちていらっしゃることが分かりました。その傍らには、心配そうに見守る奥様とケアマネージャーさんの姿。ご主人は震える手で、メモ用紙のような紙に書かれた自筆の遺言書を私に見せてくださいました。
そこに書かれていたのは、「全ての財産を妻に相続させる」という、非常にシンプルな内容でした。
私はその場で、日付、署名、押印が正しくなされているかを入念に確認しました。幸いにも、法律上の要件をしっかりと満たした有効な遺言書でした。
「大丈夫です。この遺言書はしっかりと効力を持っています。万が一のときも、この紙があれば奥様への手続きが進められますから、安心してくださいね」
そうお伝えすると、ご主人は心底ホッとしたような、穏やかな表情を浮かべられました。ご体調を考慮し、私は短い滞在で病院を後にしました。
第2章:数年後の再会と、遺言書が動き出すとき
その訪問から数年が経った頃、再び私の事務所に連絡が入りました。最初は記憶を手繰り寄せるのに少し時間がかかりましたが、あの時の病院のご夫婦のことだとすぐに思い出しました。
お話を伺うと、ご主人がお亡くなりになった後、奥様はショックと悲しみから、遺言書を使った手続きをしないまましばらく放置されてしまっていたようです。急いで奥様と面談の機会を設けましたが、数年の歳月はお一人になった奥様の心身に影を落としていました。少しお話の理解が難しくなっているご様子も見受けられ、軽度の認知症が始まっているのではないかと感じられました。
「何から手をつけていいか分からない」と不安に駆られる奥様に、私は優しく語りかけました。自筆の遺言書を実際に使うためには、まず家庭裁判所で「検認(けんにん)」という手続きが必要なこと。そして、あの時ご主人が遺してくれたこの一枚があれば、必ず手続きを進められることを丁寧にご説明しました。
奥様から正式にご依頼をいただき、当事務所で受任契約を締結。家庭裁判所への検認申立てから、順次手続きを進めていきました。
ご主人が遺された主な財産は、長年お二人で暮らしてきたご自宅の不動産でした。現在、日本の法律では「相続登記の義務化」がスタートしており、不動産を引き継いだら正しく名義変更を行うことが法律上のルールとなっています。お二人にとって思い出深く、そしてこれからの奥様の生活の拠点となる大切なご自宅。ご主人の遺言書のおかげで、無事に奥様名義への相続登記を完了させることができました。
第3章:なぜ子どものいないご夫婦に遺言が必要なのか?──「天国と地獄」の分かれ道

無事に名義変更を終え、安堵される奥様の姿を見ながら、私は心の中で「本当によかった」と深く息を吐きました。なぜなら、もしあの時、ご主人が遺言書を遺していなかったら、状況過酷なものになっていた可能性が高いからです。
法律のルール(法定相続)では、子どもがいないご夫婦の場合、配偶者である奥様が全ての財産を一人で相続できるわけではありません。亡くなったご主人の「兄弟姉妹(あるいはその子どもである甥・姪)」もまた、法定相続人になるのです。
もし遺言書がなかった場合、奥様がご自宅を守るためには、以下のような高いハードルを乗り越えなければなりませんでした。
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遺産分割協議の必要性
ご主人の兄弟姉妹や甥・姪全員を探し出し、全員の実印と印鑑証明書をもらって「遺産分割協議」を行わなければ、自宅の名義変更すらできません。
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高額な代償金の金銭リスク
もし他の相続人から「法律で決められた分け前(法定相続分)をきっちり支払ってほしい」と主張された場合、大変なことになります。今回のご自宅は非常に資産価値が高い場所にあったため、奥様が他の親族に支払うべき金銭(代償金)は数百万円、あるいは一千万円を超える高額になる可能性がありました。
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最悪の場合、自宅の売却も
手元にそれだけの現金がなければ、長年住み慣れた我が家を売却してお金を作り、親族に分配せざるを得ない状況に追い込まれていたかもしれません。
しかし、ご主人が遺言書を遺してくれていたおかげで、これらすべてのリスクを回避することができました。なぜなら、法律上、兄弟姉妹や甥・姪には「遺留分(いりゅうぶん:最低限保障される相続財産の取り分)」が一切認められていないからです。
「妻に全てを相続させる」という一文さえあれば、親族からどれだけ権利を主張されても、奥様は一円も支払う必要はありません。遺言書の「あるなし」だけで、残された奥様の人生は天国と地獄ほどに変わってしまうのです。
第4章:親族間の関係が良くても油断できない、目に見えないリスク

「うちの親戚はみんな良い人ばかりだから、揉める心配なんてないよ」
そうおっしゃる方も多くいらっしゃいます。確かに、普段の人間関係が良好であれば安心だとお感じになるでしょう。しかし、相続の現場では、悪気はなくても手続きが「一歩も前に進まなくなる」トラブルが多発します。
例えば、ご主人の兄弟姉妹の中にご高齢で「認知症」を患っている方がいたらどうなるでしょうか。認知症などで判断能力が不十分な方は、遺産分割協議に同意することができません。手続きを進めるためには、わざわざ家庭裁判所に「成年後見人」を選任してもらう必要があり、多大な時間と費用がかかってしまいます。
あるいは、遠方に住んでいて「行方不明」になっている親族が一人でもいれば、やはり協議はストップします。
今回の奥様のように、ご自身にも認知症の兆候が表れ始めている場合、こうした複雑な親族交渉を一人で抱え込むのは不可能です。もし遺言書がなければ、奥様は途方に暮れ、最悪の場合はご自宅の名義も変えられないまま、精神的にも経済的にも追い詰められていたことでしょう。
子どものいないご夫婦にとって、「配偶者に全ての財産を相続させる」という遺言書を作ることは、決して大げさなことではなく、「最優先で取り組むべき、最大のリスクマネジメント」なのです。
第5章:地元・福岡の皆様へ──たった一枚の紙に、愛を込めて

緊急の医療現場や、病床の中であっても、今回のご主人のように「シンプルな一文」を自筆で遺すことには、残されたパートナーを守るための絶大な価値があります。
もちろん、できればお元気なうちに、より確実で検認の手続きも不要な「公正証書遺言」を作成しておくことや、近年スタートした法務局による「自筆証書遺言書保管制度」を利用することが理想的です。これらを利用すれば、遺言書の紛失や改ざんを防ぎ、奥様にかかる負担をさらに減らすことができます。
一生に数回しかない相続だからこそ、思いがけないところにトラブルの種は潜んでいます。法律の知識がなかったために、最愛のパートナーが住む場所を追われるような不利益を受けてほしくありません。納得のいく、そして安心できる未来を創るお手伝いをすることが、私たち福岡中央司法書士事務所の願いです。
「うちは大丈夫かな?」と少しでも不安に思われたら、どうぞお気軽にご相談ください。大切な方の笑顔を守るために、いまできる準備を一緒に考えていきましょう。
この記事の執筆者
- 福岡中央司法書士事務所 代表 森 浩一郎
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保有資格 司法書士 専門分野 相続・遺言・民事信託 経歴 福岡中央司法書士事務所の代表を務める。平成11年2月に「福岡中央司法書士事務所」を開業。相続の相談件数約950件の経験から相談者の信頼も厚い。
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